はじめてのシナゴーク
ブダペストには、イスラエル、ニューヨークに続いて3番目に大きいシナゴークがあるというので訪れることにしました。ドハーニ街シナゴーグです。
建物の前に立ってみると・・・私の教会の概念とは違う雰囲気で思わず息をのみました。なんだか怖い・・・悲しい・・・苦しい・・・
塔の上の丸い玉ねぎが黒いこと、
タイルで模様が描かれていること、
像がないこと。
そして・・・たくさんの星!
私の怖い、悲しい、苦しいという印象は、彼らの苦難に思いを馳せてしまったからだわ・・・
これまでいろんな土地を旅してきて、お寺、教会やモスクを訪れる機会はたくさんあったけど、ユダヤ教の教会シナゴークを訪れるのは初めてだということに この時点で気が付きました。
シナゴークの入り口では、空港なみのセキュリティチェックがあります。
3階まであって、まるでオペラ座かコンサートホールのような規模。
偶像崇拝を禁じているので、そのたぐいのものがないのも私にとっては初めての経験。
ただ、そこににはたくさんの星。
どこかオリエンタルな雰囲気。ビザンチン様式というのかしら。
中庭は墓地となっています。教会内部の混雑とうってかわった静かな空間。
そして、裏庭にはホロコーストの犠牲となった40万にものぼるハンガリー・ユダヤ人の名が刻まれた柳の木があります。
一時はユダヤ人のメッカともいわれたこの地ですから、相当のユダヤ人の方がいたことでしょう。 そのことを思うと胸が痛みます。
ユダヤ人を救った英雄といえば、オスカー・シンドラー氏が有名ですね。(チェコ)
日本人で言えば杉原千畝氏(リトアニア)、そしてここハンガリーにも英雄がいらっしゃったのです。
それがラウル・ワレンバーグ氏。スウェーデンの外交官です。
ただ彼の場合は少し状況が違うようで、アメリカで高まるユダヤ人保護の世論の波を受け、中立国スウェーデンからユダヤ人を救うために外交官としてブダペストに赴いたようです。最初からヒーローとしてこの地に降り立ったのですね。おそらく、シンドラー氏や、杉原氏とは違うプレッシャーや辛さ、葛藤もあったと思いますが、彼の尽力でなんと10万人ものユダヤ人を救い出すことができたのです。
悲しいかなその後彼は消息をたったままです。
もう一人 このブダペストにはユダヤ、イスラエルを語る上で重要な人物が生まれています。 第二次世界大戦より前のオーストリア帝国時代の人物テオドール・ヘルツル氏です。イスラエル建国の父と呼ばれていて、イスラエルの地に帰ろう、故郷を再建しようというシオニズム運動を起こした一人とのこと。
オーストリア・ハンガリー帝国時代には、ユダヤ人がハンガリーに多く入ってきていたそんな時代、ピーク時には人口の20%以上を占めブダペストはユダヤ人のメッカと呼ばれていた時代に、建国をするという大きな力の発生源のひとつが、アメリカでもなくイギリスでもなく、ここブダペストで生まれた一記者とは・・・必然だったのでしょうか。
イスラエル建国を見ることかなわず亡くなってしまったけど、きっと後に続く人たちを見守っていたのでしょうね。
イスラエル建国については、日本人が想像もできないほどのいろいろな思いが渦巻いているとは思うけど、私はただただそれを生んだ力がこのハンガリーの根底にあるということに感嘆してしまったのです。
そんなこんなで・・・
自分ができることには限りはあるけれど、正しいことをしていきたいなと改めて思いました。
ちょっと真面目な話になっちゃいました💦